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これからも求められるのは
飼い主と一緒に考え、支えてくれる獣医師

#07藤井 仁美

経歴
1990年 東京農工大学 農学部 獣医学科卒業
1990~1994年 都内動物病院勤務
1995~1997年 シンガポールの動物病院にボランティアとして勤務
1998~2008年 イギリス ロンドンの動物病院にボランティアとして勤務
2008年~ 日本に帰国し現職に至る
現在は、 Ve.C. JAPAN(ベックジャパン)動物病院グループ の代官山動物病院および自由が丘動物医療センターにて行動診療を行っている。

資格
1990年 獣医師免許取得
1999年 英国応用ペット行動学センターにて研修
2001年 同センター公認のペット行動カウンセラーおよびインストラクター資格を取得
2007年 英国サザンプトン大学院にて動物行動学を専攻
2009年 同大学院終了後、伴侶動物行動カウンセラーのディプロマを取得
2013年 日本獣移動物行動研究会の獣医行動診療科認定医の資格を取得

みんな「いいコ」であることの驚き

藤井先生が動物の行動診療に携わるようになったきっかけを教えてください。

藤井先生:

夫の海外赴任にあわせて移住したことが、行動診療との出会いといえます。獣医師になったばかりの頃は一般的な動物病院で働いていましたが、まずは2年ほどシンガポールへ、その後はロンドンへとわたり、育児の傍らで動物病院の診察を見学したり、処置手伝いなどのボランティアに携わりました。

ロンドンの動物病院では、診察中の犬たちを飼い主が保定できるほど、みんな「いいコ」であることに気付き、とても驚きました。私が海外へわたる前の日本(1995年頃)は、現在ほど動物のしつけが盛んではない時代でしたので、犬に口輪をはめたり、動物看護師が無理な保定をするなど、苦労しながら診察を行っていたような記憶があります。「どうしてこんなにお利口な態度で処置させてくれるのだろう?」「なぜ病院そのものを怖がらないのだろう?」「そもそも、何で飼い主が保定をしているの?」といった私の疑問に対して、院長や同僚からは「それは、パピーの教育も社会化もできているから」と、さも当たり前のように返されました。動物にはしつけやトレーニングが必要ということを飼い主が理解している、つまり文化として当たり前ということでした。

そういわれても、私にとっては当たり前のことではないのですから(笑)。これは面白いと感じて、しつけやトレーニングを学ぶようになりました。学んでいくと、すぐに“しつけやトレーニングを理解するためには動物行動学が必要”ということに気付き、動物行動学を習得しはじめました。そして、欧米で獣医行動診療が確立していった時代ということもあり、行動診療へと傾倒していきました。ちょうど日本でも、森 裕司先生や南 佳子先生・武内ゆかり先生らが獣医動物行動研究会を設立するなど、過渡期の時代でもありました。

藤井先生は行動診療としつけ・トレーニングをどのように分けて考えていますか?

藤井先生:

行動診療は「なぜこの動物が問題行動を起こすのか?」を明らかにして診断するものであり、獣医師はその診断に対してどのような治療プランがあるかを飼い主に提示しつつ、その方法を飼い主自身が実践することもサポートする…、そしてときに薬物を処方して治療を補助するというものです。一方、しつけ・トレーニングは、もともとは犬に作業や仕事をさせる際に、それを「犬に教えるためのもの」でした。したがって、「しつけやトレーニングは、飼い主ではなくトレーナーの先生が動物にやり方を教えるもの」というイメージが、飼い主には強いようです。しかし、行動診療におけるしつけ・トレーニングとは、パピーの頃から適切に行うことによって問題行動を予防するためのものであり、さらに問題行動が起きてしまった際は、治療プランの中で犬(場合によっては猫)の行動を変える(変容する)ために行うプログラムとなります。したがって、この場合は飼い主にそのやり方を覚えてもらい、家で毎日実践していただかなくてはいけませんので、飼い主と動物の双方をみたうえでのカウンセリングが必要となります。つまり、“トレーニングの必要性を飼い主にも理解してもらう”ためのカウンセリングを行うのも、行動診療の中では非常に重要だということです。また、トレーニング以外の治療プランには、「環境や飼い主と動物との関係を改善」「飼い主の意識そのものを変えていく」といったことも含まれています。飼い主が動物を間違った形で擬人化することが原因となり、問題行動が起こっていることが多いからです。

もう一つ行動診療の重要な柱として、病気との鑑別もしくは病気との併発のケースを明らかにして、その双方の治療を同時に進めることがあげられます。病気自体が犬・猫を不安にさせますから、病気の治療を進めつつ、行動診療で不安を取り除くための環境改善や生活改善を、飼い主と一緒に考えて実践していただくということです。
SA Dermatology(2018年1月号)でも執筆しましたが、猫の場合、痒くて舐めてはいるものの、環境的なストレスが加わると、その痒みが増幅されて執拗に舐め続けることもあります。痒み自体を軽減する治療を行いつつ、環境的・社会的なストレスを軽減する総合的なアプローチが、行動診療の重要な目的の一つなのだと思っています。

いま問題行動がみられる動物では、飼い主と動物自身、どちらがより高い要因をもっていると感じていますか?

藤井先生:

昔は飼い主自身に問題があるケースがほとんどでしたが、近頃の飼い主はしつけや行動診療に高い関心をもっており、ある程度の知識を習得されている方も増えています。そのため、いま私ところに相談にくるケースでは、犬自身に問題があるケースが増えてきています。例えばてんかんの気質があったり、不安を感じやすい気質があったり、あとは飼い主と犬との環境があっていないといったどちらにも要因があるケースもあります。

文化や社会性の違いが大きく影響する分野

お話を伺っていますと、行動診療は国ごとに違った診療スタイルとなりそうですね。

藤井先生:

外科であれば、「こういう道具を揃えてこういう手順で手術をしなさい」といったように、そのセオリーはほぼ世界共通だと思います。しかし、行動診療は文化や社会性の違いが大きく影響する分野です。欧米で確立されたセオリーをそのまま日本に当てはめるのには無理があります。

例えば、イギリス人は犬と暮らしたいがために自分のライフスタイルを変える飼い主が多いのですが、その反対に、日本、特に都会の飼い主は、自分のライフスタイルに犬を合わせようとする方が多いですね。だからといって、「犬はこういう動物だから理解してあげなさい」と言っても、家庭の事情や仕事の状況でそうできない人もいます。こうしたジレンマを日本に戻ってから感じ続けているのですが、一方で、これまでの私は「イギリスのようにやらなければダメ」とばかりに許容範囲を狭くしていたような気もしています。つまり、これまでは動物にばかり肩入れしすぎていたということです。でも、それではうまくいかないことも多い……。なぜなら、飼い主が幸せにならないと動物も幸せになれないからです。

そこで、これからは動物だけでなくヒトや社会の多様性を受け入れることで、私自身の許容範囲を広げながら、「欧米生まれの行動診療を日本の文化にあわせてよりよいものにしていく」という方向性を探っていきたいと考えています。

その一つの核となるのが、飼い主の気持ちに寄り添う診療です。日本の飼い主にも、科学的に証明された犬・猫の特性は理解してほしいのですが、伝え方には注意が必要です。イギリスでは、理論的な説明によってたいていの飼い主は「なるほど」と納得してくれます。でも、日本の飼い主は言葉だけでは納得できない場合も多く、獣医師はその気持ちに寄り添うことも必要とされるのです。

国を越えて共通する飼い主の心理

これから行動診療に携わりたいという若手の先生方にアドバイスをお願いします。

藤井先生:

犬・猫であれば、「犬という動物とは?」「猫という動物とは?」という本質を理解するとともに、犬種・猫種ごとの能力や性格の違いもしっかり勉強してほしいと思っています。今はどの病院でも「動物に優しい診療」を目指していますが、「こうしなさい」というマニュアルに従うのではなく、「犬(猫)はこういう動物だからこうなる」という原理を理解してほしいです。そうすると、診療もハンドリングも入院のケアも、格段にスムーズにできるようになります。

獣医師はヒトの小児科医と同じです。我々は病気を治すだけではなく、「普段どういう世話をすればよいのか」「困った行動にどう対処すべきか」といったように、飼い主からは生活面でのアドバイスも求められます。技術を磨くことも大切ですが、飼い主と一緒に考え、支えてくれる獣医師がこれからも求められると思います。「うちのコを分かってくれる獣医が最高」…、これは国を越えて共通する飼い主の心理です。

とは言え、行動診療の習得や実施は、時間を要する分野でもあります。日々の診療で飼い主全員からの要望に応えることは難しいでしょう。ですから、私たち「日本獣医動物行動研究会」では、行動診療のエキスパートである認定医を増やすための教育を行っております。また、私が勤務するVe.C.JAPAN(ベックジャパン)動物病院グループでは「こころの健康診断」というアンケートを行い、動物本来の行動が満たされていない場合や、心配な行動がある動物の飼い主さんへのメールアドバイスも行っています。こういう取り組みもぜひ参考にしてください。

“藤井 仁美”を創る、書籍とは……

「明日の獣医療を創る」インタビューシリーズにて、藤井仁美先生よりお勧めいただいた書籍をご紹介します。

A Medicine BOOKS 犬と猫の治療ガイド2015
私はこうしている

編集:辻本元、小山秀一、大草潔、兼島孝
A4判 上製本 1160頁

藤井 仁美先生のお勧めコメント

問題行動はさまざまな医学的問題によっても起こりますし、医学的問題が犬・猫のストレスとなって問題行動を併発することもあります。行動診療でも一般診療の知識は必要で、この本はそのような知識を勉強するのに最適な1冊でとても役に立っています。問題行動の章もあるので、そこもぜひお読みください。

犬と猫の治療薬ガイド2017 1冊&ポケット版 1冊

編集:大草 潔、折戸謙介
編集協力:小山秀一、兼島孝、山下和人、瀬戸口明日香
付録 エキゾチックペットの薬用量:田向健一、小嶋篤史
B6判 上製本 672頁 オールカラー

藤井 仁美先生のお勧めコメント

行動診療に使用する薬物はもちろん、現在服用している薬が行動に影響していないかなどを知るためにも、重宝する1冊。レイアウトも見やすくて使いやすいです。

獣医学教育モデル・コア・カリキュラム準拠 動物行動学

著:森 裕司、武内ゆかり、南佳子
B5判 並製本 164頁 カバー4色・本文2色


獣医学教育モデル・コア・カリキュラム準拠 臨床行動学

著:森 裕司、武内ゆかり、南佳子
B5判 並製本 184頁 カバー4色・本文2色

藤井 仁美先生のお勧めコメント

この2冊は獣医学教育のコア・カリキュラムの教科書としても使用されており、行動学や行動診療を勉強するためには必読です。内容は分かりやすく、簡潔にまとめられており、行動診療を行いたいと思っている獣医師だけではなく、一般診療の先生方すべての方に読んでいただき、基礎知識を身につけて診療に活かしてていただけたらと思います。

小動物臨床のための5分間コンサルト 犬と猫の問題行動 診断・治療ガイド

著:Debra F. Horwitz & Jacqueline C. Neilson
訳:獣医動物行動研究会
監訳:武内ゆかり、森 裕司
A4判 並製本 320頁
飼い主向け経緯調査票+ハンドアウト入りCD-ROM付

藤井 仁美先生のお勧めコメント

5分間コンサルトシリーズは、どれも読みやすく使いやすいです。
一般診療の知識はもちろんのこと、問題行動バージョンも各問題行動について分かりやすく解説されているので、ぜひとも病院に置いていただきたい1冊です。

Small Animal Dermatology 49号(2018/1月号)
ニャンともムズかしい 猫の皮膚病

臨床獣医師のための小動物皮膚科専門誌(奇数月発刊)A4判 112頁

藤井 仁美先生のお勧めコメント

この雑誌は、創刊当初からその内容の濃さに毎回感動しています。毎回取り上げる特集記事も、実際の皮膚科診療にすぐに応用できるものばかり。実は皮膚病と行動学の間には深い関係があると私は思っており、実際に皮膚科の先生と連携して行動診療を行う機会も多いです。皮膚科の知識をしっかりと身につけるための必読書と言えます。